パワハラの原理。自分にとってのパワーとハラスメント。自分ハラスメント、セルフハラスメントを考える。

  

悪口が許されないクラス

人の悪口を言う事は許しません。

人の悪口を言う事は悪です。

悪夫 君が悪口を言ってました、それは許されない事だと思います!

という、先生と、生徒達で溢れる小学校のクラスがあって。

そこで、一人だけ、悪口。

それは、悪口ではないのかもしれないけれど、ある一人の生徒が、それを悪口と認定して。

その一人の生徒を迫害していくクラス。

本音を推奨されるクラス。

言いたいことは、しっかり言い合おう。

本音と本音でぶつかり合うのがコミュニケーションだ!

良夫 君は、本当は言いたい事があるのに、言おうとしません!それは、いけない事だと思います。

そんな先生と、生徒達で溢れる小学校のクラスがあって。

そこで、一人だけ無口。内省的に深く考える事が好きな生徒が居て。

それは、本音を言わないのではなくて、良く考えているだけなのに、上手く言葉にできないだけなのに。

その一人の生徒を迫害していくクラス。

パワハラ。パワーとハラスメント。

パワーの解釈は色々ありますが。

この場面では感じられるパワーは。

先生という立場のパワー。

生徒という立場のパワー。

悪口はいけないという、ルールのパワー。

本音を話さないのはいけないというルールのパワー。

その中で、本音を話す、個人の在り方のパワー。

その中で、自分の考えを大切にする、個人の在り方のパワー。

こんなパワーが、ありますね。

価値観によるパワーの優劣。

マジョリティ。大衆の無意識の合意として。

恐らく、パワーに序列をつけると、こんな感覚になると思います。

先生というパワー > 生徒というパワー

全体のルールというパワー > 個人の在り方というパワー

なので、先生の決めたルールとなると、この中では、圧倒的なパワーがある、印象を受けますよね。

会社におけるパワーと、その優劣。

会社における、マジョリティ、大衆意識としてパワーの序列を見つめてみると、同じように

上司というパワー > 部下というパワー

全体のルールというパワー > 個人の在り方というパワー

という図式も成り立つので、時に、その課のリーダーである、その方のルールが、その課全体のルールとなって、そこに、パワーを見る、圧倒的なパワーがある、印象を受けますよね。

パワーに対するストレス。嫌、ハラスメントと感じる感覚。

パワーは本来悪いモノでなくて。

それは、個性や、才能にもつながるもので。

先の悪夫 君にとっては、後者のクラスのルールは居心地が良いかもしれなくて。

先の良夫 君にとっては、前者のクラスのルールが居心地が良いかもしれなくて。

そう、人が、ストレスを感じる。嫌と感じる感覚は

環境のルールや、上の方針というパワー > 自分の在り方のパワー

そう、自分の在り方のパワーと、環境のパワーに、大きなギャップがある時で。

ルールでいうと、スポーツ、サッカーのルールで、手を使ってはいけないというのは、それを克服して、才能を発揮する、ギャップを埋めるところに、面白さや、楽しさを感じた人が、興じるスポーツでもあって。

例えばサッカーのルールを、頭しか使ってはいけないってすると、カオスというか、かなり過酷なスポーツになりそうですよね。

そう、楽しさというよりは、罰ゲーム的なゲームの印象が強まりますよね^^;

元々のサッカーを楽しんでた人からすると、ハラスメント以外の何物でもないって感じますよね^^;

パワハラの原理

なので、パワハラの本質的なところ、パワハラの原理を定義すると、こんな感じかもしれません。

「その環境に置けるパワーが絶対的なモノに感じられ、且つ、そのパワーが自身のもつパワーと大きな隔たりがある状況。」

世の中のパワハラ、パワーハラスメントの定義。

パワーハラスメント(和製英語: power harassment)とは、社会的な地位の強い者(政治家、会社社長、上司、役員、大学教授など)による、「自らの権力(パワー)や立場を利用した嫌がらせ」のことである。略称は「パワハラ」、加害者は名誉毀損(めいよきそん)、侮辱罪の刑事責任を問われる場合があり、民法の不法行為や労働契約違反も成立することがある。加害者を雇用している企業がパワーハラスメントを放置した場合、職場環境調整義務違反に問われ、加害者やその上司への懲戒処分などが求められる。加害者に自覚がなく指導と思いこんでいるケースが多く、対処法としては、記録を残し、行政機関など外部への告発が有効とされる。

(wikipediaより引用。)

とありまして。

これは、ある種の

法的なパワー であって。

極論的な話として、例えば、学校の先生の場合、40人の生徒がいれば、40通りの個性がある可能性があって。

先生がある方向性、ルール、基準を用いた場合、40人すべてに、嫌がらせに該当しない行為や、ルールが必要になってきて。

もし一人でも、嫌がらせと感じた場合、それは、パワハラに該当する可能性はあって。

けれど、先生本人は、そんな嫌がらせをしている自覚がない。普通に、自分自身のパワーを発揮しているという、可能性もあって。

その場合、ハラスメント、嫌、パワハラという感覚の定義に、先の定義

「その環境に置けるパワーが絶対的なモノに感じられ、且つ、そのパワーが自身のもつパワーと大きな隔たりがある状況。」

を当てはめて見ると、法的パワーによる、先生へのパワハラとも取れる様になってしまい。

パワーハラスメントハラスメントというか、ハラスメントハラスメント? 

要は、先生とか、その環境のリーダーを飛び越えたルールが採用される。

学校の先生が、法的な部分に変わり、生徒たちは、それに従う、遵守する立場となって、結局、誰かが、罰せられる、嫌がらせをうけるという、図式は、継続される事になって。

パワハラの連鎖から、脱出する方法。

これ、どこでおかしな事になっているかと言うと、ルールに対する、考え方というか

ルールを絶対視してしまう部分が、そもそもの、パワハラの原因、ハラスメントが生まれる原因であって。

キリストの言葉

安息日のために人があるのではなく、人の為に安息日はる にある意味象徴される様に

そう、これは、安息日に神殿に礼拝するという事を遵守させ、守らない者を罰するといった、ユダヤ教のスタンスに対して、本来、安息日や、ルールは人の為にあるもので、そのルールの為に人が罰せられることへの、問題提議でもあって。

ゲーム、試合展開を最重視する、サッカーの主審

昔、サッカーの国際審判でもある 家本政明氏の 『主審告白』という本を読んで、なるほどと思ったのですが。

サッカーの審判の、主な役割と言うのは、如何に試合の展開をスムーズに進めるかであって、反則を罰する事では無い。

という事が書いてあって。

実際、ルールブックに基づいて、全ての反則を取っていたら、ゲームとして、成立しないそうで。

なので、試合中に、選手たちに、しっかり、身振り手振りで注意するそうです。

次は無いよ的な感じであったり、それは駄目だよといった感じで。

選手と審判のコミュニケーションが、そこにはしっかりあって。

審判と、選手で、試合を作るという意識も。そこにはしっかりあって。

なんの為に会社があって、何のために自分が居るのか?

ここが、やっぱり、ポイントだなと思うのですが。

そもそも、自分が勤める会社が、何のためにあって、自分は何のためにそこにいるのか。

例えば、なんらかの社会貢献の為に存在する会社があって。自分の目的が、単に生活費を稼ぐという場合。

社会貢献の為に、時に残業をせざるを得ないケースや、業績で、十分な結果が出ていない時は、十分な生活費を、社員に支払う事ができなかったりする事もありますが。

これも、先の定義にあてはめると、ハラスメントな事象、嫌がらせと捉える事もできて。

そもそものハラスメント、嫌がらせの原点。

そもそものハラスメント、嫌がらせの原点が何処にあるかというと

結局のところ、自分が自分に嫌がらせをしているのですよね。

すこし、極論的な感じでもありますが

自分が一番、居心地の良い感覚。自分らしい自然な感覚を無視して、わざわざ、難しい環境、厳しい環境に身を置くという、嫌がらせを自分が自分でしていて。

社会の仕組みや、ルールで、どうしても、ハラスメントというか。

自分が何者かとか、社会がどういったモノかが分かっていない時期は、それは仕方のない事として、受け入れる時期、受け入れている時期が、誰しもあるのかもしれません。

それは、ある人にとっては、家庭であり、学校であり、会社であり。

それらや、そこでの、権力者というか、目上の人の意見を、絶対的なモノ、変えられないものとして、受け入れて、それは、我慢しなければならない、そこから抜け出す事はできない、自分のパワーを発揮してはならないという、思い込み、勘違いから、自分が自分に嫌がらせをしている。そこから抜け出すパワーがない事を、受け入れてしまっている状態にはまってしまっている時が有って。

自分ハラスメントを辞める。ルールや義務、責任を再定義する。

この勘違い、もし、それらを絶対的なものと感じていると、パワハラのゲームに巻き込まれて、いつしか、自分もパワハラの対象、嫌がらせをするものとして、罰せられる日が来てしまう。

なので、パワハラを受けない、パワハラの在る世界から、抜けたい場合は、このパワハラと言うゲームの世界。

ゲームに参加しないという事も大切で合って。

その為に、まず、出来る事は、ルールや、義務、責任に関する、自分の思い込みを緩める事が、大切なのだと思います。

これは、言いかえると、自分の人生は、ルールや責任、義務を果たすためにあるのか?

自分らしい、人としての人生を歩む為にあるのか?

という事と向き合う事でもあって。

前者の感覚を絶対的なモノとして考えてしまう事が、自分に対するハラスメント。

自分ハラスメント、セルフハラスメントとなっていて。

自分がハラスメントを辞める、ハラスメントをしている自分を自覚する。

サッカーをしている人たちのところで、バレーボールを始める。手を使ってプレーをすると、ゲームが成り立ちませんよね。

私たちは、これと同じこと。

会社という、ゲームがあって、そこにゲームの目標や、ルールがあって。

そのゲームや、ルール、目的や、目標を知ることなしに、ゲームに参加して。

やれ、ルールがおかしい、やれ、それは間違っていると、別のルールを持ち出して、批判や、反発をしてしまう事があります。

それは、先に述べた通り、自分が本当は、バレーがしたい、野球がしたいと思っているのに、サッカーチームに入って文句を言っているようなケースもあり。

そう、だから、自分に嫌がらせをしない。自分ハラスメントをせずに、自分が本当にやりたい事は何か?

その為に、どんなチームに所属する必要があるか? どのポジション、どの役職で、それが達成できるかという事を考える事、向き合う事も、大切な事であって。

パワハラが生まれる原点、原理原則は

自分で自分を活かさない事、自分で自分に嫌がらせをしてしまっていること。

必要な事は、自分を活かす方法、自分が何者か理解する事。

それが大切なのだと思います。

 

 

 

 

 

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